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いつまでも「挑戦者」であり続けよう。「現状」という壁を打ち破る。

日常生活は、どうしても「なんとなく」過ぎていくものである。

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平和な日常感を味わいながら「なんとなく」過ぎゆく時間を眺めるのもいいものである。しかし、「なんなとなく」過ごした時間が長くなりすぎると、後から後悔するタネとなる。
いつでも、「自分は挑戦者である」という意識を少し持つことで、日常に対して多少のあらがいを持つことができる。


<目次>

1.どちらかといえば現状肯定派の自分

私は、実生活ではどちらかといえば現状肯定派に分類されるであろう。
会社生活でも個人でも、「社会の仕組みなどに、数々の問題はあるけてども、それはそうとして、その制約の中で精一杯、生活していこう」という態度をとっていると思う。日々、いろんなことに不満は出てくるものの、声高に主張して、例えばデモ行進を行うといったことはしないと思う。
現状を肯定し、日常に対して抗うことなく過ごすと、毎日が「なんとなく」過ぎ去っていくものである。無駄な波風を立てず、静かに過ごすにはよいと思うが、ふと長い年月が過ぎ去っていっていることに驚く

2.過ぎ去った時間は取り戻せない

「なんとなく」過ごす毎日は、摩擦も少なめで、月日の過ぎ行くスピードも早めに感じる。平和な日常をやり過ごしていくことも大切であり、意義はあるものだ。しかし、過ぎた年月に後から気づき、「何かしておけばよかった」と後悔の念を持つかもしれない経過した時間はあとから取り戻せないので、注意が必要だ。

3.「挑戦者」の意識を少し持とう

時間の流れは無慈悲である。人の力では、その流れを止めたり、速度を遅くしたりすることはできない。私は、それに対して、「自分は挑戦者である」という意識も少しだけでも持つようにしている。表面的には多勢に従って、静かに生活を送っているが、心の中でチャレンジャーであり続けたいと思っている。例えば、このブログを継続することも、自分に対する挑戦の一つだ。完全に守勢に回らず、日常の中で小さなチャレンジを続けていく。それが、無慈悲に過ぎてゆく時間や日常生活に対するささやかな「挑戦」だと思っている。

4.まとめ

・「なんとなく」過ごす日常は、平和に静かに生活するにはよい面もある。
・しかし、月日が過ぎ去るのは早い。あとから経過した時間を取り戻すことはできない
「自分は挑戦者である」という意識を少し持つことが、過ぎ去る時間や日常生活へのささやかなチャレンジとなる。


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