読書体験から豊かな人生を

読書体験から、新たな人生価値を見つけましょう

イライラを感じる度に考える。自分はどんな世界を望んでいるのか。

よくないと思っていても、日常生活の中で時々、イライラを感じてしまうことがある。

f:id:s_labo:20200718104046j:plain


自分でイライラを感じ取ったときは、「自分はいったいどんな世界を望んでいるのだろうか」 と振り返って考える機会としている。


<目次>

1.小さいことにイライラしてしまう

日常の些末なことにイライラするのは意味がない、そう思う時間がもったいないと頭の中ではわかっている。しかし、現実には、ときどきイライラ感を持ってしまっている自分に気づく
先日も、歩道を歩いていたとき、横に広がった3名の人が、おしゃべりしながらゆっくりと歩いて、行く手をふさいでいることにイライラしてしまった
その後、自問自答することになった。「自分が思い描く、イライラしない理想の社会像はあるのか?」と。例えば、この場合は、人々は歩道では、片側に寄って黙って整列して歩く、そんな社会を私は望んでいるのだろうかと。そういった全体主義的な管理社会を自分は決して望んではいない。時には、歩きながら楽しく談笑する自由と余裕がある社会の方が望ましいとは思う。

2.本当の望みは自分の心の広さか

この時に感じたイライラは、他人に向けられたものであった。しかし、後から冷静になって考えると、イライラの原因は、自分の心の狭さ、不寛容なことにある。
「自分が望む世界」は自分の外側ではなく、自分自身の中にある。「小さいことは許容できる心の広さを持った自分」こそが、自分の望む世界観そのものである。

世の中は多種多様で、いろんな価値観を持った人が生活している。多様な価値観を認め、寛容の精神を持つこと。それが自分が望んでいるとはわかってはいるが、それでもイライラしてしまうのは、今の自分に心の余裕がないからだろう。

3.イライラした時に気づくもの

日常生活の中でイライラを感じ取ったら、それは新たな「気づきの機会」である。まず、イライラの向ける先は、自分の外にあるのか、自分の内面にあるのか。多くの場合は、外に向けられた感情は、実は自分自身に向けられたものであったと気付く
また、自分の心の余裕の無さにも気付く。なぜ、余裕がないのだろうかと考えると、「何か目に見えないもの」に捕らわれているのではないか。心の中の「捕らわれ」を上手にほどいていかないと、自分が望む心の状態にたどり着くことはできないのではないか。

正しい答えは見つけることができずにいるが、こういったことに気付かせてくれたので、最初の「イライラ」も意味があったと思っている。

4. まとめ

・イライラを感じたら、自分がどんな世界を望んでいるかを問い直している。
・感情の行き場は、他人に向けてではなく、自分自身の内側であることに気付く。
多様性を認める寛容な心を自分は求めているが、心の余裕がないのかイライラを感じてしまう。
・答えは得られていないが、自問することに気付いたことに意味を見出している




〜こんな記事もあります〜


s-labo.hatenablog.com


s-labo.hatenablog.com


s-labo.hatenablog.com