「いけない」とは思いつつ、日常の小さいことについ、イライラしてしまう。
例えば、公共のマナーを守らない人を見かけてイライラしてしまう。些細なことを気にしてしまう自分にも嫌気が生じる。自分がイライラする原因を考えると、他人への期待値が高いのではと感じた。そこから、イライラしないコツを考えてみた。
<目次>
1.小さいことにイライラしてしまうとき
日常の中での小さいことは、あまり気にせず、「悠々とした」気分で過ごしていたいと思っている。しかし、現実には小さいことを気にしてしまい、ついイライラしてしまうことがある。
例えば、火がついたままのタバコのポイ捨てを目の前でやられた時などに、イライラしてしまう。世の中の一定数は、公共のマナーを守らない人がいるとはわかってはいても、気になってしまう。その人へのイライラ以上に、そういう小さいことにイライラしてしまう自分に対して、嫌気が生じる。もっと寛容になるべきだし、多様な価値観を認めていくべきだとはわかっているのだが、感情面で先に反応してしまっている。
2.イライラの根本的由来はどこにあるのか
イライラを引き起こす直接的な契機は、目の前で起こった他人の行動であることは間違いない。ただ、そういうイライラを引き起こす由来となっているのは何だろうか。自分の心理の奥底に何か原因となるトリガー(引き金)があるのではないか。
いろいろ原因を探っている中で次のような仮説を立てた。
自分には世の中に対して抱いている「根拠のない期待」があり、その期待を裏切ったり否定されたりすると、イライラしてしまうのではないか。
世の中は、テクノロジーの進化などにより、利便性が高い方向に向かってはいる。しかし、利便性が高くなったことイコール世の中が住みよくなっているというわけではない。むしろ、個々人の利便性を高めていく方向に動いた結果、一人一人は自分勝手な言動をする傾向が強まっているのかもしれない。
自分の潜在意識の中に、世の中はだんだんよくなっていくべきだという漠然とした考え方があって、それと異なる事象が目の前で起こると、イライラしてしまうのかもしれないというのが、自身の内面的な原因だと思う。
3.イライラしないために、世の中に対する期待値を引き下げる
イライラは、「世の中に対して漠然と抱いている期待値」が引き金になって発生すれば、その期待値を大きく引き下げることが必要だろう。私の場合、もともと根拠なく期待値を引き上げていた経緯がある。特に、自分の世代は、子供の頃に日本が高度成長期だったこともあり、世の中が良くなっていく、または良くなっていくべきだという根拠のない固定観念を植え付けられていたことにも原因がある。
世の中に対する期待値が低くなれば、多少のことが目の前で起こっても、それほど腹が立たないだろう。多少、公共マナーを守らない人がいたとしても、「利便性が高まっている反面、個々人のマナーは低下傾向にあるのだ」と現実を受け容れることができる。
これからはイライラしている自分に気づいたら、静かに「他人や世の中に期待しちゃいけないんだ」と言い聞かせようと思う。
4.まとめ
・小さいことにイライラする。そんな自分に対しても嫌気を感じる。
・イライラする真の原因は、自分の中の「世の中に対する期待値が根拠なく高い」ことにあると考える。
・期待値を引き下げ、気になることを目にしても、「世の中、そういうものだ」と理解することでイライラを回避しようと思う。
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