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私とコーラをめぐる精神史

物心ついてから40年以上、その間コーラはベストセラーとして身近に存在し続けている。

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以前はコーラが好きでよく飲んでいたが、40代後半になって飲まなくなった。
今回は、昭和から平成に移り変わる中で、自分とコーラをめぐるエピソードを振り返りたい。

<目次>

1.昭和(小学生〜高校生まで)

最初に飲んだときの記憶はないが、おそらく小学校低学年の頃に初めて飲んだと思う。
小学校2年生か3年生のとき、父親の会社に一時勤めていたアメリカ人が父子で家に遊びに来た。息子のトムは当時、ずいぶん年上の人のように感じたが、高校生、いや中学生くらいだったかもしれない。
母親が、たくさん食べるだろうからと、ビーフステーキやビール、コーラ(1リットルの瓶タイプ)をたくさん準備していた。やはりアメリカ人は食べる量が半端なかった。私たちの家族用に用意していた食材を含め平らげてしまった。特に、息子のトムの食べっぷりはすさまじく、用意しておいたコーラもすぐなくなってしまった。私は母親に頼まれて、近くの酒屋さんにコカ・コーラの1リットル瓶を買いに走ったことを憶えている。

アメリカ人父子が帰ったあと、父が溜め息まじりに「食べる量が根本的に違うなあ。(日本がアメリカに)戦争で負けるわけだ。」と言っていたのが印象的だった。昭和50年代であり、そのころは未だ「戦後」という感覚が随所に残っていた気がする


その後、中学生ころに、ドクターペッパールートビアといった類似飲料を初めて飲み、あまりの薬っぽさに驚いた。アメリカ人はよく、こんなものを飲めるなぁ」と友人と話していた。


高校生になると学校の近くのパン屋さんで、帰りにペプシの瓶(300ミリリットルくらいだった)をよく飲んでいた。確か60円だったと記憶している。
当時は、コカ・コーラ以上に「ペプシアメリ」のイメージが強かった。オートバイのロードレースでテキサス出身のケビン・シュワンツ選手がペプシ・カラーリングのスズキ・ガンマで活躍していた頃だ。

2.平成(大学生〜社会人)

大学生になって一人暮らしをするようになった。実家では、親から「体に悪そうなのでコーラはあまり飲まないように」と規制を受けていたが、自由になった。その自由の象徴の一つが、1.5リットルペットボトルのコカ・コーラをぐびぐび飲むことだった。ただ、1.5リットルを買うと途中から炭酸が抜けて不味くなってしまった。

このころ(平成初期)、日本の飲料メーカーから刺激を強化した形で、独自のコーラ製品が出されていたのが興味深い。このころは「強い刺激がある目新しいもの」がマーケットから望まれていたのであろうか。私には、UCCから出された「ジョルト・コーラ」(カフェイン2倍)JTから出された「ハードショット」(強炭酸)の二つが強い印象として残っている。どちらも自販機で買ったあと、フタを開けると炭酸が噴出して半分くらいになってしまったからだ。その後、日本製コーラは姿を消したが、強い刺激感のある飲料はエナジー系ドリンク(レッドブルやモンスターなど)に受け継がれていったと思う。


社会人になったころからは、ダイエット・コークをよく飲んだ。アルミ色に赤いラインの入ったデザインの缶がよかった。それもいつしかコカ・コーラ・ゼロに変わっていた。仕事でストレスを感じたら、冷えたコーラをグイと飲むのが習慣化していたと思う。いろんな飲料がある中で、一番よく飲んだ清涼飲料だと思う。

3.コーラからの卒業(40代後半)

コーラは依存性、習慣性がある飲料だと思う。特徴的な強い味、炭酸の刺激が舌や喉にとって癖になる気がする。40代の半ばを過ぎたころ、体力の低下を感じ、刺激物をできるだけ摂らないよう方向転換することになった。カフェインは極力、摂取しないようにした。そうして、よく飲んでいたコーラから卒業し、水や炭酸水、麦茶を飲むようにした。
ライフステージが変わり、コーラを飲む姿が自分のイメージと合わないなと感じたのも一因である。

飲まなくなってしばらくすると、不思議とあまり欲しなくなった。同時にコーラから離れたことについて、自分の意識面での変化はどうだろうか、と考えてみた。年齢的な要因が多いと思うが、嗜好が刺激があるものから平穏なものへと全般に変化したと思うし、健康をより意識するようになった。
また、伏流することとして、アメリカ的イメージのあるプロダクト(商品)から少し離れたいという心理もあったかもしれない。

4.まとめ

今回、こうしてコーラにまつわる思い出をまとめてみると、その製品寿命の長さを再認識した。コカ・コーラは赤色のイメージで一貫されており、ブランドイメージの強さを感じる。

長くお世話になったアイテムにも、いつしか別れのときが来る。年齢を重ねることによるライフステージの変化とはそういったものだろうと感じる。私にとっては、コーラとの離別が昭和から平成と続いた一つの時代との「お別れ」だったのかもしれない。